ながめ余興場 レトロな“娯楽の殿堂”

ながめ余興場 レトロな“娯楽の殿堂”
       

風光明媚(めいび)な高津戸峡右岸(みどり市大間々町)の高台に建つレトロな建物―。これが全国に残る数少ない芝居小屋の一つ「ながめ余興場」だ。余興場があるながめ公園は秋の菊花大会でも知られる。

木造2階建てで建造は1937年。地域の“娯楽の殿堂”としてにぎわいを見せていたが、60年代に入ると映画やテレビに人気を奪われ、65年の芝居興行を最後に映画館に姿を変えた。最後の芝居興行は、梅沢富美男さん(75)の父の梅沢清一座だった。

梅沢劇団が公演中の明治座(東京)で梅沢さんの母、竹沢龍千代さん(故人)に思い出を伺ったことがある。

ながめ余興場の印象を龍千代さんは「モダンな造りでしたねえ。多い時には春、夏、秋と年に3回、公演に行きました。大間々は旅の役者をとても大切にしてくれる所で、群馬の人は口は『べらんめえ』だったけど、心の優しい人が多かった」と懐かしんでいた。

映画を上映していたのは87年まで。その後は空き家同然になっていたが、90年に当時の大間々町の所有になって再び劇場として活用されるようになり、97年には60年ぶりの大改修が行われた。

余興場を縁の下の力持ちとして支える「ながめ黒子の会」の創設メンバーで、2代目会長を務めた松島弘平さん(72)は、舞台に登場した人で最も印象深いのは、作詞家で放送作家でもあった永六輔さん(故人)と一緒にやって来たパントマイムのマルセ太郎さん(故人)だという。

公演の後、楽屋に茶を持って行くと、マルセさんはガラガラ声。「どうしたんですか?」と聞くと、「お客さんの声はもちろんだけれど、舞台の後ろからこれまでながめの舞台に立った先輩たちの魂というか、“声”が感じられて、つい張り切りすぎた」と笑っていたという。

そういえば、以前ながめの舞台に立った俳優の八名信夫さん(90)がこんなことを言っていた。「ながめの花道を歩くと役者として鳥肌が立つ。役者を本気にさせてくれる」

  

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